紆余曲折様々な困難と立ち向かい

不屈の精神で今や日本を代表する

ロックスターへと駆け上がった

X JapanのリーダーYOSHIKI

 

やりどころのない怒りに

そして悲しみに満ちた歌詞と

それに相反する美しいメロディー

「破壊」と「創造」がらせん状に交錯し

聴いたもののすべてを魅了させる音楽性。

 

自分のつらかった幼少期を彼の境遇と重ねては

涙に震え、常に心の支えとなっていた

『X Japan』

 

私が最もリスペクトしている

アーティストの一人です。

 

 

最近になってメディアへの露出が

増えてきた事を嬉しく思っています。

 

2018年の格付けチェックではGACKT部屋で

正解発表までの間にボリボリ食べていた

「銀座あけぼの」のお菓子が話題となり

しばらく売り切れ状態が続くなど

お茶目な一面もお茶の間の興味を誘い

もはやYOSHIKIの影響力は世界レベル

と言っても過言ではありません。

 

 

とはいっても現在10代20代の方は

昔のYOSHIKIやXをリアルタイムで

触れてこれなかった為に良くわからない

そんな方たちへこの先

 

10年20年と語り継がれる事になるであろう

YOSHIKIの凄さを纏めてみたいと思います。

 

 

プロフィール

 

 

本名: 林 佳樹  (はやし よしき)

出身: 千葉県館山市

身長: 173.6cm

年齢: 「x」

※年齢については当初伏せていたが幼馴なじみの

ボーカルToshlが1965年10月10日と公表したために

バレてしまった。1965年11月20日生まれ(54歳)

 

 

 

 

活動拠点

 

 

現在は米国ロサンゼルスが拠点。

2011年には有名なスタジオを購入し

レコーディング・スタジオとして

物件の所有者となった。

 

300坪の敷地内にスタジオが3つ存在し

米国最大のミキサー(音楽機材)がある。

機材は総額10億円とも言われてる。

 

かつてはマイケルジャクソンや

ローリングストーンズがスタジオを借りに訪れるなど

スタジオとしての完成度や資産価値が高い。

 

YOSHIKIは所有者となる前より当スタジオを

利用していたがなかなか予約が取れない事を

理由に購入を決める等、母親譲りの投資家としての

才能も持ち合わせている。

 

 

 

X Japanの主要メンバー

 

 

Base: TAIJI  (1992年迄)

Base: HEATH (1992年以降)

Guitar:HIDE (1997年迄)

Guitar:PATA

Guitar&Violin:SUGIZO (2009年以降)

Vocal: ToshI

Durums&Piano : YOSHIKI

 

 

 

 

~軌跡~

 

1965年 千葉県館山市で裕福な家庭に生まれる

1969年 4歳のときにピアノ教室へ通い始める

1976年 父が他界。KISSの武道館公演を観てドラムを始める

1982年 幼なじみのToshIらと高校時代に「X」を結成

1988年 インディーズ時代「VANISHING VISION」が記録的セールス

1989年 「BLUE BLOOD」でメジャーデビュー

1990年 X初の武道館ライブ

1991年 X初の東京ドーム公演・NHK紅白歌合戦初出場

1992年 世界進出を狙い「X」→「X Japan」へ改名

1995年 世界進出断念

1997年 ToshI脱退 9月にX Japan解散を発表

1998年 ギターのHIDEが他界・ToshI洗脳報道

1999年 天皇陛下御即位十年奉祝「Anniversary」を林佳樹として演奏

2005年 日本国際博覧会「愛・地球博」の公式イメージソング「I’ll  Be  Your  Love」を作曲し自ら愛知万博開会式で指揮

2007年 X Japan再結成を発表

2009年 X Japan初の海外公演(香港)・SUGIZOの加入

2010・11年 X Japanワールドツアー(北米・ヨーロッパ・南米・東南アジア)

2012・13年「Golden  Globe  Theme」が2年連続米国ゴールデングローブ公式テーマソング

2014年 米・ロックの殿堂マディソンスクエアガーデンで公演

2017年 英・ロックの殿堂ウェンブリーアリーナで公演

 

 

 

 

95年 苦渋の決断で世界進出を断念した理由

 

 

当時、日本では有名だったが海外では無名のバンド

そんなギャップがあったり

英語がその当時はまだ話せなかった等

全てが手探り状態の中、不安や焦りが交錯

YOSHIKIは完璧主義者として知られており

ボーカルToshIの発音の問題やスケジュールの問題で

メンバーにもキツく当たってしまっていたために

次第に心はYOSHIKIから離れていってしまった。

 

さらには当時は

インターネット環境やYouTubeなどの動画サイト等が

無いなどの、外的要因も原因の一つであった。

 

それだけ時代の最先端を行き過ぎてしまったのである。

 

 

 

 

YOSHIKIってどんな人?

 

若い頃は手が付けられない不良で

しかもただの不良ではなく成績は優秀

ピアノやトランペットもできたために

教師たちは何故不良にこんなことができるのか

不思議がっていたという。

 

髪が耳にかかってはいけない校則など

大人が作った訳の分からないルールと

人を見た目でしか判断できない

教師や大人たちが大嫌いであり、徹底的に

「反抗」した。

 

しかし大人の力や権力で押さえつけられ

涙を吞むことも多かったが

YOSHIKIは決して屈する事が無かった。

押さえてつければつける程

反抗心むき出しで応戦した。

 

どんなにグレようと母との約束だけは守った。

 

完璧主義者である。

全てのパートの譜面をYOSHIKIが全て書いていた。

 

どちらかというといじられキャラ。

お茶目な一面もある。

 

 

 

YOSHIKIの母親の先見の明と親としての偉大さ

 

 

呉服屋を営んでいた為に

裕福な家庭で育ったYOSHIKI

父亡きあとも誕生日には毎年

好きな楽器を買い与えてもらうなど

その遺志は引き継がれた。

 

子どもの好きなことを決して押さえつけず

好きなだけやらせ愛情を注ぎ続けた事が何より

大きい。親としてなかなかできない事である。

 

呉服屋を畳んだ後は投資家へと転身。

上京したYOSHIKIは毎月50万円もの

仕送りを母から送ってもらっていたことで

 

その資金を生活費以外の

バンドのデモテープ作成費用や

運営費に力を入れることができたのは

言うまでもなく母のおかげである。

 

YOSHIKIの才能を信じ投資した事実は

先見の明というべきか

投資家としてそして母として偉大である。

 

 

 

 

語り継がれるYOSHIKIの武勇伝

 

・カレーが辛くて帰っちゃった事件

いつも食べていたカレーが辛い事で激高し

リハーサルをせずに帰ってしまった。

異変を察知したHIDEがYOSHIKIへ

「どうした?」と電話を掛けると

「カレーが辛かったんだよね」というと

HIDEは

「しょうがないね」と一言。

HIDEの愛の深さには脱帽しかない。

 

 

・布袋と一発触発事件

先輩であるBOΦWYと95年に共演したが

YOSHIKIが遅刻してきたのを根に持ち

打ち上げの席で

「Xってのは何様なんだよ?」と布袋が挑発すると

”売られた喧嘩はすべて買う”

がモットーのYOSHIKIがブチぎれ大暴れ。

 

メンバー達の制止を振り切り

布袋が泊まるホテル客室まで追いかけ

「布袋でてこいコルァァ!」

と叫んで回ったが布袋は出てこなかったという。

 

元不良で身長は約190㎝を誇る巨漢の先輩にさえ

噛みついてしまうまさに『館山の狂犬』。

 

人の痛みを知り少し大人になったYOSHIKIは

最近のインタビューでは「布袋さん」と

言い改めている。

 

 

・和田アキ子のちゃぶ台返し失敗し肩脱臼事件

お酒の席にてすでに程よく出来上がっていた

和田アキ子から「いいちこ」を勧められたが、

YOSHIKIはワインが飲みたかったのでやんわり断ると

それでもしつこく勧められたためイラっとしてしまう。

 

自分の勧めた酒をも飲もうとしない和田が声を荒げ

「お前、サングラスぐらい外せっ!!」

高圧的な態度に出た事でとうとうYOSIKIはぶちギレ

テーブルをひっくり返そうとしたが、テーブルは

ボルトで固定されており、ひっくり返らず肩脱臼。

 

これは、

YOSHIKIには非は無いと見ています。